これまで訪れた地の歴史を学ぶ in グアム・恋人岬
こんにちは。
鈴木実麻です。
今回は、今年2月に仕事仲間と訪れたグアムの名所『恋人岬(Two Lovers Point)』についてです。
私たちが訪れた時は、たくさん写真を撮って楽しむことに夢中でしたが、調べてみると古くから伝わる伝説が残っている場所なんですね。
この伝説には諸説ありますが、身分の高い家系に生まれた娘と、先住民系の男との悲しい禁断の恋の物語だと広く伝わっています。
その歴史は、スペイン統治時代(17世紀~18世紀頃)にさかのぼります。
当時のグアムでは、身分の違う人々が交わることは禁じられていました。
娘の父親は、彼女の意思と反してスペイン人将校との結婚を決めていましたが、彼女は自分よりも身分が低い男と出会い、恋に落ちて身をくらませます。
これに激怒した父親やスペイン兵士たちは、2人を見つけ出し、2人は岸壁に追い詰められてしまいます。
それでも永遠の愛を誓った2人は、互いの髪を結びつけ、最後のキスを交わすと、岸壁から身を投じました。
悲しい話ですが、この伝説が「永遠の愛を誓う聖地」として、恋人岬が広く有名になりました。
身分が違っても、命を差し出してでも、愛する人との永遠の愛を選んだ2人の強い意思を思うと、愛の力は偉大だなと感じました。
私も、愛する家族や旦那さん、仲間との絆を一生大切にして、これからも豊かな人生を送り続けようと思います。
これまで訪れた地の歴史を学ぶ in トルコ
こんにちは。
鈴木実麻です。
今回は、大学の卒業旅行で親友と訪れたトルコの歴史や日本との関係について調べてみました。
アジアとヨーロッパの中間に位置し「東西文明の十字路」を呼ばれるトルコには、数々の世界遺産が存在し、観光客に人気の国です。
また、親日国として日本との関係も深いようです。
日本とトルコの関係が始まったのは、19世紀末に岩倉使節団がイスタンブールを訪問した時だと言われています。
当時はオスマン帝国がトルコの地を支配していました。
そして、両国の関係を築いた有名な事件があります。
それは「エルトゥールル号遭難事件」です。
日本の使節団に応える形で、オスマン帝国からも600名以上の使節がエルトゥールル号に乗って送りだされました。
しかし、帰路に就いた直後に台風によってエルトゥールル号が紀伊半島沖の岩礁に衝突し、乗客は海に投げ出されてしまいました。
乗客のほとんどが亡くなってしまいましたが、約70名は地元住民により救出され、日本政府の支援によって母国へ無事帰国できました。
この事件がきっかけで日本に対して友好的なトルコ国民が増えたと言われています。
ちなみに、エルトゥールル号遭難事件を描いた『海難1890』という映画もあるそうですよ♪
100年以上も前から、遠く離れた地の人々の絆が続いていると思うと感慨深いですね。
人間関係に距離や年月は関係ないんだなと学びました。
約3,800旅館・ホテルの中から選び抜かれた4選!『2019年度サービス最優秀旅館・ホテル』
こんにちは。
鈴木実麻です。
6月初旬に近畿地方では梅雨入りが発表されました。
最近は、日差しが強い日が続いていたので、過ごしやすくなった様に感じます。
梅雨の時期は家で過ごしながら、夏に向けて「旅の計画」を立てるようにしています。
先日、大手旅行会社のJTBから「2019年度サービス最優秀旅館・ホテル」が発表され、旅の計画を立てるにはピッタリの記事でしたので、ご紹介したいと思います。
この賞は、JTB協定旅館ホテル連盟に加盟してる約3,800の旅館・ホテルの中から、お客様アンケートで最も高い評価を得た4施設に送られたものです。
【結果】2019年度サービス最優秀旅館・ホテル(4選)
大谷山荘(山口県)
(出典:JTB公式サイト)
大谷山荘は、1881年に創業され、過去に天皇皇后両陛下が御来館されたり、日露首脳会談でプーチン大統領が宿泊されたりと、とても歴史と品格があり、今回のJTBサービス最優秀書旅館賞も5回連続受賞という常連の旅館です。おとずれ川に面した温泉宿で、豊かな緑と川のせせらぎを感じながら入る露天風呂が人気だそうです。
落ち着いた「和」のテイストがとっても素敵で、親孝行で両親と一緒に行ってみたい旅館だなと思いました。
【施設情報】
大谷山荘
〒759−4103
TEL:0837−25−3300
ホテルオリオンモトブリゾート&スパ(沖縄県)
(出典:JTB公式サイト)
このホテルは、2014年7月に開業。全室オーシャンビューで開放的な空間を味わうことができるホテルです。私が気になったのは、この施設内にあるタラソ(海水)スパ。心身のリフレッシュと健康美をテーマにしたタラソテラビーでは、海藻・海泥を使ったボディーパックや、タラソスタイルのボディーマッサージも楽しむことが出来ます。
仲の良い女友達とワイワイ旅行に行くには最適な場所だなと思いました。
【施設情報】
ホテルオリオンモトブリゾート&スパ
〒905−0207
TEL:0980−51−7300
http://www.okinawaresort-orion.com
心のリゾート海の別邸ふる川(北海道)
(出典:JTB公式サイト)
このホテルは、太平洋を一望できる場所にあり、自然を感じながら寛ぐことが出来る所です。私が気になったのは、露天風呂!海と一体になったような感覚で浸ることができ、夜には満天の星に包まれて、さざ波のBGMの中、星の中に浮かんでいるような感じだそうです。
大切な人とゆっくり時間を過ごしたい時に行ってみたいホテルですね。
【施設情報】
心のリゾート海の別邸ふる川
〒059−0641
TEL:0144−87−6111
https://www.kokorono-resort.com
柊家旅館(京都府)
(出典:JTB公式サイト)
そして最後にご紹介するのは、私の地元でもある京都にある旅館です。
この旅館は、日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成氏が愛用した旅館として知られており「京都ではいつも柊家に泊まって、」と川端氏が柊家の為に書いた原稿も残っているそうです。偉人が過ごした歴史ある建物の中で、ゆっくり読書してみたいですね。
【施設情報】
柊家旅館
〒604−8094
TEL:075−221−1136
家族や仲間と素敵な旅ができることを楽しみにしながら、今日も全力で仕事します。
~以上~
これまで訪れた地の歴史を学ぶ in シンガポール
こんにちは。
鈴木実麻です。
もう10年以上前になりますが、母親と旅行でシンガポールを訪れました。
当時からシンガポールは「世界一安全で清潔な国」として知られており、母とも安心して旅行を楽しんだ思い出があります。
シンガポールは、日本から南へ約7時間、赤道直下にある常夏の国です。
国土面積は日本と比べて小さく、東京23区と同じくらいです。
物価水準は高く「生活費の高い国ランキング」でも上位に位置しているため、優雅な旅行を楽しむには最適な国の1つです。
また、シンガポールは中華系の国民が大半を占めますが、マレー系・インド系の国民や、外国籍の移民も多いため、多種多様な文化が入り混じった国際的な雰囲気を楽しむことも出来ます。
シンガポールの代表的な観光スポットといえば「マーライオン」や「マリーナベイ・サンズ」などがありますが、今回はこの2つの由来や歴史について簡単にご紹介したいと思います。
マーライオンは、頭がライオン、体は魚という変わった風貌をしています。
その由来をご存知ですか?
11世紀頃、当時の王族が航海の途中に嵐に遭遇しました。海に王冠を投げたところ、海が静まり返り、無事に対岸の島にたどり着くことができました。
その時、島にライオンが現れ、その地を王族が治めることを許して立ち去ったという言う伝説が残っています。そのライオンの頭と、海の街を表す魚の体を合わせたものがマーライオンだと言われています。
マーライオンは知っていても、その由来まで知っている人は少ないのでは?
色々背景についても知っていくと面白いですね!
マリーナベイ・サンズは、経済と観光をさらに活性化させるために、シンガポールの新しいランドマークとして、2010年4月にオープンしました。
オープン以来、『世界のベストレストラン50』『アジアのベストレストラン50』『Forbes Travel Guide スターアワード』『ソーシャルホテルアワード』など、約600以上の賞を受賞し、世界を代表するホテル施設として高く評価されています。
私がシンガポールを訪れた時は、まだオープン前の状態でしたが、最近マリーナベイ・サンズに行かれた経営者の先輩が「人生で一度は泊まった方がいいホテルだよ!」と話されていて、次にシンガポールに行く際には必ず泊まりたいと思います。
日本からも近いシンガポール、近々行けるのを楽しみにしています。
これまで訪れた地の歴史を学ぶ in スペイン・サグラダファミリア
こんにちは。
鈴木実麻です。
今回は、今年1月に親孝行旅行と題して母と訪れた、スペイン・バルセロナを象徴する未完の傑作『サグラダファミリア』の歴史に触れてみました。
サグラダファミリアといえば、建築家アントニ・ガウディが設計した、スペインを代表する巨大な建築物です。
ガウディの作品として有名ですが、実は、元々は別の建築家が設計をするはずでした。
1882年、カトリック団体「サン・ホセ教会」が設立を計画し、建築家フランシスコ・ビリャ―ルが設計を任せれていましたが、彼は意見が合わないことを理由に設計を辞退してしまいました。
そこで翌年新たに設計を任せれることになったのが、当時無名だったガウディだったのです。
ガウディが最初から手掛けたものかと思っていたので、これを聞いて驚きました。
しかし、1926年にガウディが亡くなります。
この時、サグラダファミリアはたったの1/5しか完成していませんでした。
それが理由で建設が一時中断し、また1936年にはスペイン内戦が始まり、しかも内戦の期間に設計図の大半を失ってしまったのです。
その影響で長い間建設が止まっていましたが、1952年にガウディが残した模型を頼りに建設が再開されました。
2005年には、サグラダファミリアのうち「生誕のファサード」と「地下礼拝堂」が『アントニオ・ガウディの作品群』として世界遺産に登録され、ガウディの名がさらに有名になりました。
たくさんの障害を乗り越えて今があることを思うと、とても感慨深いです。
ガウディやその意思を引き継ぐ方々の想いが詰まった作品なんですね。
スペインに行かれる際は、その歴史も感じながら是非行ってみてください♪
これまで訪れた地の歴史を学ぶ in 韓国・明洞
こんにちは。
鈴木実麻です。
日本から一番近い国といえば、韓国ですよね。
昨年、仕事仲間と一緒に韓国のソウルに行き、楽しかった思い出がいっぱいです!
ソウルの中でも、人気No.1の繁華街といえば明洞です。
デパート、アパレル店、レストラン、屋台などが立ち並び、観光客や地元の若者たちで賑わっています。
そんな明洞の歴史に触れてみたいと思います。
明洞は、朝鮮時代に、清渓川(チョンゲチョン)から向かって北側は役人や商人が住む北村(プクチョン)、南側は庶民層が住むは南村(ナムチョン)と呼ばれていて、明洞は南村に位置します。
当時は庶民の街だったのですね。
19世紀前半の日本統治時代には、日本人が多く住み「明治町」と呼ばれるようになりました。
この時期に開発が進み、路面電車や商業施設、娯楽施設などが整備され、ソウルで一番の繁華街になりました。
第二次世界大戦後は、流行の街としてファッションやカフェ文化の発信の地として発展し、今では観光客もたくさん訪れる人気観光地になりました。
魅力満載の明洞ですが、私の一番の楽しみは朝ごはんです。
早朝からオープンしているお店も多く、特にお粥はお薦めです。
色々な種類のお粥が楽しめます。
明洞は、日本との関係も深いことがわかりました。
また近々、仕事仲間と一緒に韓国に行けるのを楽しみにしています♪
これまで訪れた地の歴史を学ぶ in 台湾
こんばんは。
鈴木実麻です。
台湾は、東シナ海に浮かぶ島国で、大阪から約3時間と気軽に行ける観光地です。
私は、2017年12月に仕事仲間と目標達成のお祝い旅行で訪れました。
その時は、千と千尋の神隠しの舞台『九份』へ行ったり、小籠包や水餃子を味わったり、大満足の旅でした。
そんな今回は台湾の歴史に触れてみます。
台湾は13世紀から中国本土の国により支配が始まったとされています。
大きく歴史が動いたのは大航海時代末期の17世紀。
オランダとスペインが相次いで台湾を植民地化した後、再び中国本土の国である清が台湾を統治しました。
それから福建省を中心とした中国本土からの移住が増え、人口の大半が漢人となりました。
19世紀末、日清戦争に勝利した日本は、台湾の統治権を得て、50年間ほど日本の植民地となりました。
その間にインフラが急発展したと言われています。
第二次世界大戦後は、戦勝国の中華民国に統治権が移りましたが、その後中国本土では蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党との間で争いが勃発しました。
勝利した共産党は北京に首都を置き中華人民共和国を成立し、敗れた国民党は中華民国を台北に遷都しました。
その頃から、台湾は国際的には中国の一部だと見られることが多い一方、独自の政府をもつ地域となりました。
上記には諸説ありますが、中国本土の影響を一番受けつつも、その他の国々との交流の中で、独自の文化が発展した見どころ満載の島になりました。
ちなみに、アップルマンゴーが作られ始めたのも今から50年前程であり、栽培方法が確立されたことで、一気に産地としての地位を確立したようです!
歴史を知ったことで、次は台湾文化の奥深さも楽しみたいと思います♪